趣味が職業に変わる瞬間-音楽家にとって音楽は癒しになるか?-

10年ほど、音楽療法士をめざす人たちにライアーを教えていました。私はどうも、厳しい先生だったようです。ある時、生徒にそう言われて、「え~、でも私、怒ったりしないじゃない」ときいたら、「うん、でも、さくらさんは絶対にOKと言わない。良くなったけど、でもね……と、必ずその先にまだ要求がある」と。確かに、私は簡単に合格と言いませんでした。なぜなら、「こうすればもっと良くなる」と、気づいていながら、OKと言うのは、なんだか嘘をついているような気分だったからです。

音楽療法士をめざす人たちが弾くのは、簡単な曲でも構わないけれど、演奏の質は、可能な限り高くなくてはなりません。ですから、「自分が楽しむために弾く」という段階を、はるかに超えてゆかなくてはならないのです。演奏のプロが奏でる音楽は、聴く人のために献上されるものだからです。「楽しく演奏すれば、聴く人も楽しい気分になる」という理屈は、通用しないと思います。

もちろん、演奏家は苦しみながら音楽を奏でているわけではありません。しかし、彼らは最高の演奏をするために、あらん限りの集中力を注ぎ、自分が発している音を一つも逃さずに聞き取り、次の音を準備し、旋律をつなげてゆくという作業を、一瞬も休まずに行っているのです。これだけ覚醒した状態を保っているのですから、「音楽に浸っている」という感覚は、あまり無いと思います。

幼少期から音楽の専門教育を受けた人は、自然とこの習慣が身についています。しかし、趣味で楽器演奏を始めた人が、演奏家(音楽療法士を含む)の道を選択する際には、意識を転換しなくてはならない段階が、必ずやって来ます。それは、音楽の楽しさを心から知った後に、踏み出すステップです。

このステップを踏む時、多くの人が葛藤を経験します。今まで、気持ちの高ぶりに身をゆだねて、何も考えずに弾いていた、一つ一つの音の性質と役割を理解し、絵を描くように、表現しなくてはなりません。これは、多大な集中力と、忍耐と、精神力を必要とする作業です。しかし、この作業無しに、聴く人の心を惹きつけ、誘導し、音楽の力によって癒すことは出来ません。

初めてこのように演奏する体験をすると、皆、がっくりと疲れます。「演奏って、こんなに大変なことなの?」と、息を切らしながらききます。「そうよ。演奏は献身だもの。芸術が献身であるように。」私は、そう答えます。これを理解した人は、それまでのように、あれもこれも、たくさんの曲を弾こうとしなくなります。

でも、がっくりと疲れる経験が出来たということは、プロとしての演奏を理解した証拠です。趣味の音楽が、職業に変わる瞬間です。ですから、「おめでとう!」と言いたい気持ちになります。残念ながら、このステップを通過することが出来ない人も、たくさんいます。演奏家への門をくぐるためには、自分の気持ち良さよりも、音楽の美を優先して追求する、献身的な精神が必要不可欠です。

音楽家になってしまった以上、一般の人々が音楽に癒されるように、音楽が救いになることはないのではないかと、私は思います。人によるのかも知れませんが。時々、音楽に夢中になり、好きな曲を聴いて恍惚としていた頃が懐かしくなります。

でも、専門家としての耳を持っているからこそ、味わうことの出来る深みも、存在するのは事実です。何よりも、演奏によって、聴く人の心を温める技術を持っていることは、幸せなことだと言えるでしょう。

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