人生はあなたの才能が導く-誰もが必ず素晴らしい才能を授かっている-

昨日、「人生はあなたの手の中にはない」という記事を書いて、思い出した小説があります。上橋菜穂子さん著『鹿の王』です。

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「鹿の王」と呼ばれる鹿がいる。群れが狼に襲われた時、ただ一頭、群れの中から狼の前に躍り出て、その身を犠牲にし、群れを逃す鹿だ。

この話を、主人公のヴァンは、15才の青年だったころ、父親から聞いたのだそうです。焚火を囲みながらその話を聞いていた青年たちは、「なんと立派な鹿だろう」と口々に言いました。しかし、父はそれを嘲笑って言ったそうです。「お前たちは、自分もそういう人間、我が身を犠牲にして仲間を守るような人間になれるとでも思っているのか」と。「お前らは、もし勝てないと分かっている敵に襲われたら、逃げろ。自分の命を守ることだけを考えて、逃げろ。」
「でも、誰かが仲間を守らなくてはならないではないですか。」 そう問いかけた主人公に父は言ったそうです。


「そういう役割は、それができる心と体を天から授かって生まれて来た者がやることだ」と。
必ず喰い殺されると分かっていて、たった一頭で狼の群れの前に躍り出る鹿。それができる才能を持って生まれてしまうとは、なんとも哀しい運命ではないか。それを「鹿の王」だの何だのと言って、もてはやす連中が俺は大嫌いだ、と主人公の父は言ったのだそうです。

「私は自分で選んだ道を歩んでいる」だとか、「あれこれの理由で自分にはこの道しかなかった」とか、「これからは自分らしく生きることにした」などと言ってみても、それはすべて人間の小さな頭が考えることでしかなくて、人は皆それぞれ、天から授かった才能に導かれて生き、その才能を存分に活かしきって死ぬように、生まれついているのではないかと、私は思います。

才能を持たずに生まれて来る人などいないし、持っている才能に優劣などない。

だから、「どんなふうに生きようか」などと考える意味も必要もなくて、ただ、やって来る一日一日を迎え、目の前に現れるものごとを、一つ一つ決めて、行う…… そんなふうに歩んでゆけばいい、いや、そんなふうに歩むことしか、人間にはできないのだと、私は思うのです。


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