音楽療法士にとって一番大切なもの-美しい音楽を奏でる力

「音楽療法士に絶対必要なものは何ですか?」と尋ねられたら、私は迷うことなく、「高い音楽性です」と答えます。具体的に言うと、音楽を詳細に聴き分ける耳、音楽に対する深い理解(音楽理論、音楽史など)、質の高い演奏をする能力、この三つです。そうです。これらはまさに、演奏家として欠かせないものでもあります。音楽療法士の道へ進む人は、音楽の専門家であることが、前提となります。

ここからは、私の個人的な意見です。
「高い音楽性」は、音楽療法士にとって絶対に必要不可欠なものであり、その他のさまざまな資質は、あるに越したことはないけれど、何が何でも必要なものではないと、私は思っています。なぜなら、音楽療法とは、音楽(楽曲に限らず、音、響き、即興演奏も含む)が直接、クライアントに働きかけるのであって、音楽療法士が音楽を使って、治療をするのではない、と私は考えるからです。

音楽療法士は、演奏家と同じくらい質の高い演奏ができるように、努力することが大切だと思います。私も、日々努力を続けています。ただし、演奏家とちがうところは、音楽療法では決して難しい曲を演奏する必要は無い、ということです。逆に、クライアントにとって親しみのある曲や、覚えやすい曲の方が、ずっと多く、必要になります。単純な曲をどれだけ深く理解し、その曲がいきいきと鳴り響くように演奏できるか、が問われます。

これは、クライアントが参加する能動的音楽療法においても言えることです。音楽療法士は、どんな楽器でも、歌でも、時にはボディパーカッションやクラベス、石ころや、椅子の背を指先でトントンと叩くような演奏であっても、音楽的にできなくてはなりません。そのためには、ある特定の楽器の演奏技術が高ければよいのではなく、その人の内側から溢れ出してくる音楽が、素敵なものである必要があります。

私の友人の音楽療法士、オーストリアに住んでいるカタリーナは、素晴らしい演奏家ですが、彼女の手にかかると、何でも音楽になってしまいます。彼女が料理をしているところを見ていると、まるで音楽のようであり、彼女の車の運転も、音楽的です。なめらかで、楽しくて、表情豊かです。

日本では、「音楽」というと、楽しむものというよりは、勉強するものという意識が強いと思います。でも、それは、音楽を堅く、退屈にしてしまいます。この意識が変わることが、つまり、音楽が解き放たれて、楽しく躍動するようになることが、まず優先されるべき課題なのではないかと、私は思ったのです。だから、私は音楽療法にこだわらなくなりました。

堅くて動きのない演奏は、聴く人を苦しくしてしまいます。音楽療法の場でも、レクリエーションとしての音楽でも、病院などの慰問演奏でも、もちろんコンサートでも、それは同じです。演奏する人も、聴く人も、リラックスできて、楽しさでいっぱいになって、心が温まるような音楽が、もっともっとたくさんの場所で響き渡ること、それが最優先課題だと、私は思います。音楽療法は、この土台ができてこそ、成り立つものだと。

そんなわけで、私は易しいピアノ曲を作っています。必死になって練習しなくても、楽しく弾ける曲。それでいて、いろいろな音楽的要素を盛り込んだ、個性豊かな曲。肩に力の入らない、やさしく楽しい演奏が、いろいろなところで鳴り響くこと、それが私の夢であり、今の日本に一番必要な「音楽療法」だと思っています。

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