オーストリアに住むスイス人、カタリーナ・フリュッキガーのことは著書、
静寂なほど人生は美しい――弱視の音楽療法士が伝える「聞こえない音」の世界にも書きました。
私の恩師であり、親友です。今の私の演奏、いや、私の音楽人生は、彼女の存在なくして語れません。
オーストリアの山里の、かつて水車小屋だった大きな家に住んでいるカタリーナは、一本の木をそのまま使って作られた弦楽器や、石琴、ハープなどを演奏する音楽家であり、それらの楽器を使って治療を行う音楽療法士でもあります。
聴く人に、生命を感じさせる彼女の演奏、心をわしづかみにしてしまう、その演奏に惚れこんで、私はドイツに留学していた20代の頃、彼女の後をくっついて歩き、彼女にしか伝えることのできない貴重なことを、まるで渇いた喉を潤すように、吸い込み、学びました。
カタリーナは、のびやかな心の持ち主です。動作も機敏で、のびやかです。目をキラキラと輝かせた好奇心いっぱいの子どもが、彼女の内側に生きています。その一方で、深い悲しみや痛みもまた、彼女の人生を伴走しています。
そののびやかさで、彼女は私たちの「先生生徒」という壁も、やすやすと超え、今ではかけがえのない友人となってくれました。彼女や、彼女の旦那さんのペーターと食卓を囲み、大笑いして過ごした時間。私が帰国してからうつ病になり、薬のせいで繊細な演奏ができなくなったときの悲しみを一緒に乗り越えてくれた日々。どの思い出も、私の宝ものです。
一昨日、久しぶりに彼女とスカイプで話しました。
「カタリーナ、腰抜かさないでね。私、すごい方向転換をしてしまったの。最近、電子ピアノを弾いているの。」
いまだに家にはダイヤル式の電話しかなく、(それで国際電話を掛けろと言われた時には、さすがに大汗をかきました。5才の時以来、電話のダイヤルなんて回したことがありませんでしたから… 笑)完全に自然派のカタリーナの反応は……?
予想通り、「素晴らしいわ!」というものでした。
カタリーナは、厳しい先生です。つねに、より良いものを求め続ける人です。
でも、真の音楽家はぜったいに、「そんなのダメ」とは考えたりしないのです。
なぜなら音楽は、流れるものであり、つながるものであり、広がるものだからです。
「その演奏、聴きたい!」と言うので、動画を送ったら、何とまぁ、的確なアドヴァイスが……
「こっちの動画では、音楽と一緒に呼吸しているサクラの体の動きがよく見える。こっちの動画はそれがあまり見えない。サクラの柔らかい手と体の動きを、ぜったいに映すように撮ったほうがいい。ピアノは堅い演奏をする人が多いから。」
おぉ、電子音の演奏にもかかわらず、この人は私の音楽をしっかりと感じ取ってくれている……
私は胸がいっぱいになりました。
のびやかで、柔らかな演奏。これこそ、まさに私がカタリーナから学んだものなのです。
のびやかで、柔らかな心も。
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