私は薬にも病院にも感謝している ‐ うつ病の克服を助けてくれた人、モノ、場所

精神科の薬に抵抗がある人は少なくないと思う。抗精神薬に限らず、安定剤や入眠導入剤、睡眠薬なども含めて、敬遠する人が多い。「癖になって辞められなくなってしまうのではないか」「体に悪いのではないか」「薬なんかに頼っていいのか」など、心をかすめる思いはさまざまだ。

私自身もそうだった。だから、なるべく薬を飲まないように努力した。
ホメオパシー、レメディ、漢方薬、ヒーリング、カウンセリング、すべて試した。どれも、一瞬は効いた。でも、根本解決にはならなかった。うつ病の症状はどんどん悪化した。「もう抗うつ薬でも安定剤でも何でも飲む」と決心するしかないところまで、悪化した。

抗うつ薬治療を始めたら、すぐに良くなると思っていた。それはあまかった。
1年経っても2年経っても、なかなか改善しなかった。しかし、それ以上悪化することは食い止められた。それだけでも、当時の私には十分、有難かった。

一人暮らしで視覚障害のある私は、うつ病のせいで自立生活が困難になった。頼れる家族がいなかったため、入院という選択をした。
精神病院の病室は窓が開かない。カミソリや果物ナイフはもちろん、缶もビンもドライヤーも持ち込み禁止だ。外出許可が出て、外出できるようになっても、帰ってくるときには財布の中、ポケットの中までしっかりと調べられる。

こういうことに抵抗がある人もいるかも知れない。でも、当時の私は抵抗心を持つ余裕さえなかった。買い物に行って料理しなくても食事が出てきて、何もせずに寝ているだけでいい、そういう環境が、とにかく有難かった。自分で自分の世話をしなくていい環境。いつも誰かが監視していてくれる環境にほっとした。

薬も病院も、当時の私にとっては救い以外の何物でもなかった。だから、不便や不都合や不安や抵抗心は、ほとんど感じなかった。いや、どちらにせよ「感覚」というものがほぼ無くなっていたから、というのもあるかも知れない。

だから、初めて入院して3ヶ月後に外に出た時、まるで生き返ったかのように体が軽くなり、目に映るものがくっきりと見えて、吹く風が心地よいと感じられたあの時の感謝の気持ちは、忘れられない。

あれから今まで、紆余曲折あったけれども、一つだけ心に決めていることがある。それは、「一度自分が服用すると決めた薬、選択した治療は心から愛する」ということだ。感謝の気持ちで飲むから、薬は効く。感謝の気持ちで受けるから、治療は効く。

もちろん、薬を信奉するわけではない。ワクチンも同じだ。よく指摘されるような製薬会社と医療の癒着等、生産者側の正しいとは言えない面も、多々あるだろう。あえて明記されていなくても、体に及ぼす良くない影響だって、無いとは言えないはずだ。

でも、それならば、インスタント食品はどうか? ファーストフードはどうか? ペットボトルの飲料は体に良いか? 電子レンジで調理された冷凍食品を避けたいと思ったら、ほぼ、外食など出来ないのではないだろうか。

一方で、現代医学の治療法や薬は、日進月歩で改善に改善を重ねられている。
私は決して代替医療を否定しない。しかし、現代医学ほどに、多くの症例を世界中が共有し、研究がなされ、基準の厳しい試験を通過して世に出た治療法は他にあるだろうか。

何ごとにも良い面と、良いとは言えない面がある。それは、どんな治療法も同じだ。大切なのはいろいろな方向から、ものごとを見ること。否定的な情報だけを受け取って不安を掻き立てられるのではなく、あえて報道されない、ものごとの「優れた一面」、「尊敬すべき一面」にも目を注ぐことだ。


Kasjan Farbisz from Pixabay

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