音楽療法を断るクライアントの権利を大切に!

誰でも、自分が関心を持ち、勉強し、実践していることには熱意があります。愛情もあります。それが○○療法にしろ、○○教育にしろ、○○の法則にしろ、同じです。これは、とても自然なことです。でも、その○○療法が「誰にとっても良いもの」だと考えるならば、それは錯覚です。人にはそれぞれ、合うもの合わないものがあり、好きなもの嫌いなものがあります。一つのことに長年関わっていると、この事実を忘れがちです。「○○療法の良さをもっとみんなに知ってもらいたい」「もっと広めたい」…… この気持ちが行き過ぎると、宗教の勧誘と同じになってしまいます。

音楽療法を受けるか受けないか。たとえ、医師からの処方だったとしても、その選択権はクライアントにあります。「やりたい」という本人の意志と好意無しに、音楽療法はまず効きません。問題は、クライアントにとって「断ることが難しい」状況です。

病院や介護施設、デイサービス等で行われるレクリエーション、慰問コンサート、音楽療法。医師や看護師に勧められ、病棟の他の患者はみな参加しているのに、「私は参加しません」と言うのは勇気の要ることです。「せっかく企画してくれたのに。せっかく慰問に来てくれたのに。」という、断っては申し訳ないような気持ちも湧くでしょう。

でも、気が進まないのならば断わることが大事だと、私は考えます。スタッフ側にも「断る」という選択肢を快く受け入れる体制が必要です。また、「その日、その時の気分」というものもあります。決して音楽が嫌いではなくても、「今は静かにしていたい」という時があります。患者さん利用者さんのためのプログラムであるならば、最も尊重されるべきはその方のその時の気持ちです。

私はうつ病で、精神病院に何度も長期間入院しました。幸い、担当医が理解のある人で、「作業療法の参加は任意」とカルテに書いてくれたので、強制されることはありませんでしたが、「今日は参加しませんか?」というお誘いすら、しんどいことがありました。体調のすぐれない時、痛みのある時、苦しい時、人はとても敏感になります。苦しさと闘うだけで精一杯です。それ以上頑張って、我慢して何かをすることはとても出来ません。

もちろん、音楽療法を楽しみに待っているクライアントもいます。病院で生の演奏、生の芸術に触れられることは、素晴らしいことです。楽器など触ったこともない人が、音楽療法士の助けを借りて、初めて楽器を手にし、音楽を奏でる喜びと出会い、他の人と一緒に演奏をする楽しさを知る。手足が動かず、微かな声を出すことしか出来なくても、音楽療法士のサポートにより、その微かな声から音楽が生まれ、豊かな響きとなる。それを通して自分自身の中に眠っていた音楽性に、芸術性に、生きる力と尊厳に気づく。
こういう治療は、クライアントと療法士が同じ空間を共有してこそ、可能です。

私は、音楽療法の力の大きさを知っています。ですから、現場で活動する療法士の方々を、いつも心の中で応援しています。一方で、現場に立つことが出来ない身体になってしまった以上、私はもう一つの道を開拓したいのです。それが、「音楽療法の届かない場所に届ける音楽」であり、「音楽療法のない日に聴くことの出来る音楽」です。前述のように、クライアントの体調と、病院の日程と、音楽療法士が訪ねてゆける時間がぴったり合うのは、なかなか難しいのが現実。だからこそ、病気の人も、特に病気ではない人も、心が音楽を求める時に、スマホを使えばいつでも聴ける温かな演奏を配信したいと思っています。ただ配信するだけではなく、演奏も音質も、可能な限り洗練されたものにしてゆきたい。これが私の目標です。

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12月18日(日)19時~20時 コミュニティメンバー限定で毎週配信している「ほっこりライブ」をYouTubeにて特別一般公開します。こちらからご視聴頂けます↓

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