一般診療と自由診療、貧と富、その間に立ちはだかる壁

二つの入り口がある病院を想像してみてください。一つはふつうの内科クリニックに通じる扉、もう一つは自由診療科に通じる扉。
内科はいつも混んでいます。午前中は近隣に住む高齢者、午後は子供連れのお母さん、夕方は会社帰りのサラリーマンと、顔ぶれは変わりますが、みんな歩いて、自転車で、あるいはバスに乗ってやって来ます。自由診療科は、同じ建物でありながら別世界です。観葉植物が置かれ、ふわりとアロマの香りがします。ぽつり、ぽつりときれいな身なりをした患者さんがやって来ては帰ってゆきます。

かつて、私が音楽療法士として働かせてもらっていたのは、自由診療の扉の奥でした。一緒に働いていた他の療法士、医師や看護師はほどんどが一般診療にも携わる人たちでしたが、会議や勉強会の時、ともに過ごしたのは、自由診療科の扉の中でした。音楽療法には保険が効きませんから、クライアントはお金を払って受けるしかありません。逆に言うと、お金が払える人しか、音楽療法をはじめ、自由診療の療法や医療は、受けることが出来ません。

自分の経済状況は自分が作り出したものだ、と言う人もいます。私は決してそうではないと思います。抜け出そうといくら頑張っても、貧困から抜け出すことの出来ない人たちがいます。その多くは、身体や精神の障害を持った人々、病気で働くことが出来ない人々や、その家族です。たとえ、特定の診断名が付かなかったとしてもです。もちろん、例外はいくらでもありますが。

正直に言うと、私自身は「貧困」という状態ではありません。自由診療を受けられるほど裕福ではありませんが、身体と精神に障害があって就職が不可能でも、食べてゆくのに困るほどではありません。でも、私の友人の中には貧困に苦しむ人たちがいます。月一万五千円の家賃しか払えないのに、無年金の親に仕送りをしている人。貯金が減ってゆくのが不安で、病気を抱えながら無理をして働いている人。生活保護申請に踏み切れない理由はみな同じで、「バイクを持っていると受けられないから。」 交通費が払えないからバイクは手放せない、と言います。

○○式○○療法、○○ヒーリング、○○セラピー、ヨーロッパ生まれの○○、○○教育…… 私がドイツで勉強して日本に持ち帰ってきた音楽療法も含めて、こういう類のものに関心を持つ人々も、それを享受する人々も、だいたいそこそこ経済的に余裕のある人々です。もちろんそうでない人もいますが。
こういうふうに、特定の階級の人々だけが享受出来るものである間は、どんなに良いものであっても、輸入品のままで終わるだろうと私は思います。自分が学んだ音楽と音楽療法を愛しているからこそ、私はこれを、すべての人の手に届くものにしたいのです。

すべての人の手に届くものになるためには、大胆な変革が必要です。
2015年に国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)。「貧困をなくす」を筆頭に、質の高い教育、医療、健康と福祉、生活環境の平等などを含んだこの文書の正式名は「Transforming Our World(私たちの世界を改革すること)」なのだそうです。「transform(trans-form)」はドイツ語で「Verwandeln」。本質だけは変わらないけれど、進化して、姿はすっかり変わってしまう、というような言葉です。音楽療法も同じ。シュタイナー教育では電子音、スピーカーを通した音は好まれません。音楽療法でも、録音した音源は敬遠される風潮がありました。もちろん根拠があっての話です。

でも、頑なにそれだけにこだわっていたら、時代の流れに乗った変容を遂げることは出来ません。「みんなの手に届くもの」になることも出来ません。だからこそ、「演奏による癒しをオンラインで届ける」という試みに、私は挑戦しています。

決して音楽療法を「安物」にするつもりはありません。でも、私にとって一番大切なことは、お金を払えない人たちも安心して手に入れることが出来るものにすることです。なぜなら、演奏が運ぶ人のぬくもりを最も必要としているのは、独りで病と闘っている人たちだからです。そして、病と孤独と貧困は、常にともにあるものだからです。

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