善い行き先を持たないお金は人から輝きを奪う

善い道を通ってやって来なかったお金と、
善い行き先を持たないお金は、
たとえ悪いことに使われなかったとしても、
持ち主のオーラから輝きを奪います。

なぜ、そう言えるのか。
残念ながら、たくさんの実例を目の当たりにして来たからです。

「善い」とは何でしょう。
人間の良心は、それをちゃんと知っています。
すべての言い訳と、
誰々が言っていることと、
「ふつう」という基準を捨てれば、
良心の声が聞こえてきます。

良心に反して懐に収めたお金で裕福になると、
周りの人の心と身体に、
うっかり傷を負わせることがあります。

お金によって負わされた傷は、なかなか癒えません。
なぜ、そう言えるのか。
残念ながら、私もお金によって傷を負った人間だからです。

気前の良い心で寄付をしたお金は、受け取った者にとって、
一生の宝となります。その思い出は、
困難に直面しても自分の価値を見失わずに生きてゆくことが出来る、
大きな力となります。
なぜ、そう言えるのか。
幸福なことに、私はたくさんの奨学金をもらった人間だからです。

お金も、
働いてお金を稼ぐことが出来る健康な身体も、
粘り強さも、手の技も、賢さも、
すべて天から与えられた贈り物だからです。
決してみんなに平等に与えられるわけではない、
貴重な贈り物です。

山に降った恵みの雨は、
岩の間から真っ白なしぶきをあげて流れ出し、
集まって清い流れとなり、
やがて河となって大地を潤します。
もし、山が水を注ぎ出すことを拒んだら、どうなるでしょう。
地滑りが起き、村々が流され、大変な被害をもたらします。

それと、同じことです。

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