私の夢-希望を失いかけている人の希望となること

「夢」や「目標」をはっきりと思い描くことが大切だと言う人がいますが、私はあまりそれが好きではありません。だって、神さまが私の未来に見ている夢は、人間の小さな頭ではとても想像できないくらい、大きなヴィジョンだからです。私が目指して進んでいるのは、夢に向かう「方向」だけです。

方向はその時その時、変わってゆきます。これは人それぞれだと思いますが、私の場合は、強烈な感情、すなわち感動や怒りが方向転換のきっかけとなっています。感動は、「私もこの道を歩きたい」という指針となり、怒りは、「同じ経験を他の人にさせない社会をつくる」という動機になります。

自分が学び実践して来たアントロポゾフィー音楽療法を、その本質をしっかりと内包したまま、オンラインという形で、分け隔てなく必要な人々に届ける。CAMPFIREコミュニティのプロジェクト・タイトルに掲げている「心癒される演奏お届けします-重度弱視の音楽療法士、うつ病からの再出発」という目標は、一生をかけて、私が取り組みたいと思っていることです。でも、私がやりたいことは、これだけではありません。

自由が利かない身体になってしまった者、働きたくても働けない、遊びたくても遊べない立場に立つ者の視点からこそ見える景色、感じ、考えることを言葉にして発信してゆきたい。似た立場に立つ人たちが、敗北感と孤独から解き放たれるきっかけをつくりたい。これも、私がやりたい大切な仕事です。

ですから、「健康な身体に戻りたくないのか」と問われると、少し困ってしまいます。もちろん、戻りたいです。元気になればいろいろな可能性が開けるからです。でも、元気になってしまったら、弱い立場から世の中を見て、感じることが出来なくなってしまうかも知れないと思うと、即座にYesと答えることが出来ません。

お金は欲しくないのか、と問われれば、もちろん欲しいです。でも、それには理由があります。いつの日か一緒に暮らしたい友人がいます。私は過敏症のため、今まで何度も同居に失敗してきました。人と一緒に暮らすと気を遣って疲れてしまいます。でも、この大切な友だちとは、限られた残りの人生の時間を一緒に過ごしてみたいと思っています。お金があればお互いが邪魔にならない程度の広さの家に住めるかも知れません。逆に言うと、お金が無くてもそれが叶うなら、必ずしもお金が欲しいとは思いません。

しかし、この夢に向かうことにも、若干の抵抗があります。もし、独りでなくなってしまったら、私は孤独な人の立場に立つことが出来るだろうか。家族も親類もない人の立場に……

クリスチャンの私は結局、この言葉に辿り着きます。
「神の国と神の義をまず求めなさい。そうすれば必要なものはすべては与えられる。」
私に、いつ、何が必要なのか。それは神さまが私よりもよくご存じです。だから、すべて主の手にゆだねたいと思います。

こう考えてみると、私の心の底から湧き出してくる夢、いや目指す「方向」は、希望を失いかけている人の希望となることかも知れなせん。演奏する音楽や話す言葉、書く文章も大切ですが、私という存在が、「何も持たない者の輝き」を放つようになれたら、とても嬉しいです。

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