主からもらった私の本当の名前ーアントロポゾフィー音楽療法士として遣わされた時代、そして今

2008年、私は本場ドイツで資格を取得して帰国した最初の日本人として、すでに日本で基盤を築いていた先生たちと一緒に日本におけるアントロポゾフィー音楽療法士養成の準備に着手した。2011年日本で初めてのアントロポゾフィー音楽療法士育成クラスがスタートした。

大学でも専門学校でもなく、たんなる私立の養成機関でしかなかったベルリンの学校の学生としては、とてもドイツでの滞在許可をもらうことなど出来なかった。また、2003年渡航する時点では、留学費用など私の手元には一切無かった。そういう問題が、まるで魔法のように、ひとつひとつ解かれていった。結局、帰国して日本で就職するまで、複数の会社からの支援により、私の生活は守られ、ビザもありとあらゆる方法によりぎりぎり最後まで獲得した。

私は最初から分かっていた。これは、私を愛してやまない主のご計画だと。私は、最初に帰国するアントロポゾフィー音楽療法士として主に選ばれ、用いられたのだと。「最初に帰って来たのがあなたで本当によかった」と言ってくれた仕事仲間の先生の言葉を、私は主の名によって胸に受け止めた。

最初に帰国した人間の役目は、留学先で学んだ最も大切なことを、知恵と力を尽くして、受講生たちに伝えることだと私は思っている。それ以下であっても、それ以上であってもならないと。そう。日本にこの音楽療法を根付かせる役目は、次の世代が担うものだ。海外から帰って来た私ではなく、この国で、この国の言葉で一から学んだ人たちが、社会に根差した活動をしながら、人々に伝えてゆく。
「手を引く時期を間違えないこと」 私はこれも、正確に見極めたと思っている。

アントロポゾフィー音楽療法士育成の仕事を辞めた時、私は再び主の御手に戻った。キリスト教の信仰は絶えず私の基盤であったけれども、教える立場を離れて、改めて私はアントロポゾフィーの世界観、人間観、考え方から自分自身を解き放った。そして、キリスト者に還った。

社会の中で明確な役割を担って生きることは、人間にとって大きな支えとなる。しかし、私はうつ病を得て、その拠り所を持つことが出来ない人間となった。名前の無い人間。働くことの出来ない人間。
しかし、主は今でも、私を用いられている。
130パーセントの力を出さなくては自立生活を送ることが出来なくなってしまった今、150パーセントの力を注いでささやかな仕事を続けなくては、自分の精神を正常に保てなくなってしまった今でも、主は私の働きを祝福し、喜んでくださる。主は私が注いだ150パーセントの力を10倍にして用いてくださる。

私は主に与えられた名前を知っている。それは、「渇いた心に愛を注ぐ者」。
もうすでに満ち足りている人々ではなく、一番愛を必要としている人々のもとへ、私の足は向かう。遠くまで足を運ぶ必要などない。すぐそばに、すぐ隣に、そういう人々はたくさんいる。

注ぐことは、与えることではない。私がキリストの愛に留まっている時、私とともにいる人々はおのずと生命の水を飲み、体中に浴びて、新たな力を得る。
身軽にどこへでも行けるように、主は私から家族を取り上げられた。独りの身だからこそ、果たせる役割だ。

誰の眼にも見えない、ただ主と私だけが知るこの名前を大切に抱きながら、生きてゆきたい。

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