お金がもたらす力、お金が残す心の傷-惜しみなく与えてもらった奨学金と、払ってもらえなかった仕事の代価

今日は私とお金の話をします。ありのまま、お話します。
私には、幸福なお金の経験と、不幸なお金の経験があります。
両親は、私の食べる物と着る物に、また、教育のために、惜しむことなくお金を注いでくれました。これは、私の最初のお金の経験です。幸福な経験でした。今でも両親に深く感謝しています。


大学生時代、私は三年間、学費の三分の一に当たるほどの奨学金を、無償で受けました。大学を卒業してドイツへ留学する時には、株式会社ダスキンから毎月15万円の生活費を一年間、いただきました。留学四年目から帰国して就職するまでの三年間も、また他の会社から、月に14万円の援助をいただきました。こうして、私の6年間に及ぶ留学生活は支えられ、現地では勉学に励み、学院を卒業し、音楽療法士の資格を取って帰国することができました。とても幸福な、お金の経験です。

奨学金を受け取った時の感動は、ずっと心に残っています。それは、今でも私を力づけ、励ましてくれます。



ドイツから帰国した時、私は28才でした。業界では駆け出しの若造でした。私はどこでも渾身の力をこめて働きました。その仕事の代価が、たっぷりと、惜しみなく支払われることもありました。
しかし、支払われないこともありました。支払われなかった場合の理由は、だいたいが「払えない」「払い忘れた」、この二つのどちらかでした。やり終えた仕事の代価の交渉を、私は絶対的に強い立場にある年上の雇い主たちに対して、繰り返し、しなくてはなりませんでした。交渉はだいたい、おだやかに終わることなく、口論になり、受け取った代価とともに、苦い思いをかみしめました。

こうして、私は思い知りました。
雇い主の中には、仕事の代価を支払うことがどんなに大切なことか、理解していない人もいるのだと。「物」に対してはいくらでも投資をする人も、「人」に対して投資をすることは、好まない場合があるのだと。彼らは、支払われなかった仕事の代価が、現実的な損害よりもずっと大きな精神的傷害を、雇われた人間に与えるということが、理解できないのです。


意に反して無償でやった仕事や、注いだ力に見合わない、少ない代価しか受け取ることのできなかった仕事の疲れは、癒えません。お金は、正しくやり取りされない時、人の心に傷を残します。自己価値の否定、自信の無さ、自己嫌悪という姿をとって、受け取ることのできなかった者の心を苦しめます。

もう一つ、若い人に対してこそ、しっかりと仕事の代価を支払うことが大切だと確信しています。なぜなら、それは直接、彼らの仕事に対する自信と誇りにつながるからです。

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