声リーディング? 声診断?-でも私はスピリチュアル系ではありません

人の話し声からその人の「尊さ」「その人らしさ」を聴きとり、詩という形で表現する声リーディング。こう言うと、私が何か特別な霊感を持っているとか、何かが見える人だとか思われる方もいるかも知れませんが、そんなことは、まったくありません。私が人の声から聴きとれるものは、誰でも、訓練すれば聴きとれるものです。

もう一つ。私はいわゆるスピリチュアル系ではありません。スピリチュアル系を否定はしませんが、私自身は根っからのキリスト教徒です。子どものころからプロテスタントの教会へ通い、15才の時に、自分で決断をして洗礼を受けました。クリスチャンホームで育ったわけではありません。

私は堅い信仰を持っています。声リーディングをすることができるのは、この信仰によるものです。
それはなぜか。

一つは、人間の芯にあるものが、かけがえのない尊いものであることを完全に信じているからです。
人間は神の創造物であり、皆、等しく尊い存在です。尊さに順位などありません。
たとえ間違いを犯すことがあっても、それは人間であるがゆえ、仕方のないことで、本人の努力ではどうにもならないことです。これを「原罪」(生まれながら人間が持っている罪)と呼びます。

神の目には、大きな過ちも、小さな過ちも等しく過ちです。真面目に頑張っている人の方が、遊びほうけている人より偉いわけでもありません。
「自分は弱い」ということ、「いくら頑張っても間違うことがある」ということを、神の前に認め、イエス・キリストの十字架の犠牲によって、つまり、ただ神の愛によって、自分は完全に清く強い者にしてもらったことを信じる。これがキリスト教です。

二つめ。声リーディングをする時、私は祈ります。神の霊である「聖霊」が私を助けてくれるようにと。祈れば、絶対に聖霊は私を助けてくれることを信じています。だから、自分が人の声から聴きとったことに、私は少しの疑いも持ちません。「私自身の力」ではなく「聖霊の力」を100パーセント信じているからです。

私にとって、声リーディングと信仰とは、切っても切れないものです。もし、信仰がなかったら、「自分が聴きとったことが間違っているのではないか」という疑いを抱くか、逆に、「自分は絶対に正しい」という傲慢に陥ってしまうことでしょう。

私にとって声リーディングは、神さまから託された仕事です。神さまは人間を愛しておられます。人々が心安らかに、幸せに生きることを望んでおられます。親が子どもにそれを望むのと同じです。ですから、声リーディングで書く詩は「神さまからあなたへの手紙」です。少なくともそうであるように、私は心から神に願って書いています。

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