信じる力は伸びる力

「わたしを信じなさい」、「あなたの信仰があなたを救った」、「なぜ信じないのか」……聖書に書かれていることは、「信じること」、これに尽きるのではないかと思います。キリストを「信じる」こと、このたった一つだけの行為によって、人は罪赦され、救われる。「罪」とは、他でもない自分自身を、一番苦しめているもののことを指す言葉です。「罪が赦される」ということは、悩みや後悔や、自分を否定する気持ちが、すべて洗い流されるということです。これを、多くの人たちは、誤解しています。

信じることは、最も難しく、最も尊い行為なのではないかと思います。なぜならそれは、心と体を、相手にゆだねる行為だからです。赤ちゃんは、お母さんにすべてをゆだねて、成長します。大人になる過程で、人はいろいろな経験をします。信じていた相手に裏切られる経験も、その一つです。

信じていた誰かに裏切られた時、人は、目の前に続く二つの道の、どちらか一つを選びます。もう決して人を信じない、という道か、それでも、人を信じる、という道。

神さまは目に見えない存在です。声も聞こえません。そんな神さまが、「いる」ことを信じて、祈り、対話をし、どれだけ待って返事が返って来なくても、信じ、慕い、愛する。ふつうに考えたら、とても出来ないことです。
だから、わたしはこう思います。信じる力は、神さまが人間に差し出した、特別な贈り物なのだと。差し出された贈り物を、手に取るか、取らないか、それは、一人一人が選ぶことなのだと。
信じる力を受け取った人は、目に見えない、声も聞こえない神さまを信じる。何度人に裏切られても、再び人を信じる。とても大切なこと、それは、神さまがこの贈り物を、一生、あなたの前に差し出し続けている、ということです。

信じることの出来る人は、情熱を持っています。情熱を持っている人は、新しいことを習得し、技能を磨き、どこまでも伸びてゆく可能性を秘めた人です。

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