病気とうまく付き合う?言うは易し!

子どもの頃は、まさか自分がこんな人生を歩むことになるとは思わなかった。先天性視覚障害はあったけれど、私は健康な子どもだった。小学生の時には、学校を1日も休まなかった年もある。
24才の秋、私は原因不明のしんどさに襲われた。息が苦しい。熱が無いのに、熱があるようなしんどさ。ずっと車酔いをしているような感覚。ありとあらゆる検査をした。原因は見つからなかった。
あまりのしんどさに、だんだんと心が疲れ果てていった。ドイツ留学3年目のことだった。

6年間の留学をなんとか終えて帰国した頃から、不安と悲しみに襲われるようになった。死にたいと思うようになった。自分の体を自分の手で叩きつけていた。あらゆる療法を試した。レメディも飲んだ。どれも救いにならなかった。34才の時、心療内科へ行った。うつ病の診断を受け、抗うつ剤と安定剤による治療を始めた。薬は効いたけれど、しんどさはどんどん酷くなり、日常生活が送れなくなった。それからの数年、精神科病棟に入院することが増えた。

39才の時、すべての仕事を辞めた。出勤することが出来なくなったから。それから4年、私が一番たくさんやっていることは、ただ横になっていることだ。家事を一つしては横になり、買い物から帰って来ては横になり、楽譜づくりなど、細々と続けている仕事をしては横になり、韓国語の授業を受けるとへとへとになって眠る。渾身の力を振り絞って、ときどきコンサートをしたりするけれど、その後は寝込む。台風が来ると苦しさがマックスになる。手あたり次第薬を飲んで横になり、台風が通り過ぎるのを待つ。今年は半月、こうやって過ごした。

不眠症にも年に5,6回襲われる。数週間、3時間くらいしか眠れない日々が続く。昼間しんどくて何も出来なくなる。どこへも出かけられなくなる。どんな睡眠薬も効かない。

出勤すること、就職することは、もう諦めている。
インターネットビジネス? それがどれほどの時間と力を必要とするか知っているだろうか。
働けないけれど、食べてゆける。それはものすごく恵まれたことだ。
ただし、食べてゆける、暮らして行ける、それ以上の余裕はない。運がいい年でも、年収250万円の壁を超えることは、絶対に出来ない。

明るい諦め上手になる。これが、私にとって、病気と付き合ってゆける唯一の道だ。諦めることは手放すこと。手放すと、思いもよらなかった小さな奇跡が星のように降って来ることを知った。それを上手に捕まえる。気づいたら不眠症の期間が過ぎて、よく眠れた朝。そんなに売れないと思っていた楽譜が予想以上に売れた時。今日は作れないと思っていたご飯を作れた時。行けないと思っていた買い物に行けた日。

「病気とうまく付き合ってゆくしかないですね。」
病気知らずの人に絶対に言われたくない言葉だ。それがどんなに険しい道か、知らない人に。
非難を覚悟で言うけれど、高齢の人が体を衰えを訴えるのを聞くのが、私は好きでない。
「でもあなたには健康な若い時代があったのでしょう?」
と言いたくなる。私たちにはなかった、そういう時代が。

一緒に入院した仲間たちが頑張っている姿に、ものすごく励まされる。
週に5日働いて、週末は倒れるようにして寝込んでいる人。
パニック障害がありながら、死ぬ思いで電車に乗って通勤している人。
働くことも自立生活をすることも出来ない、その屈辱を乗り越えて、ずっと入院を続ける決意をした人。

悲しみと諦めと幸せと感謝が入り混じった気持ちで、これを書いている。
どの気持ちも大切に愛でてゆきたいと思う。

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