伸びる人vs伸びない人-一を聞いて百を受け取る力

楽器演奏でも語学でも、詩や小説でも、同じ期間に、他の人の2倍も3倍も速いスピードで伸びてゆく人がいます。そういう人には特徴があります。

まず、議論をしません。特に、教わる相手(先生)とは議論をしません。
「なんでも鵜呑みにする」のとはちがいます! 
自分が違うと思うことを無理やり信じるのでもありません。

伸びる人は、そもそも先生が教えることに賛成も反対もしません。疑問すら持ちません。
習っている時には、自分自身の心の反応や、思考には、意識が向かないのです。
先生が作る「波」に、呑みこまれることも、抵抗することもなく、ただ乗っかっているのです。これは、「絶対服従」とはまったくちがいます。

こう書くと、誤解が生じるかも知れません。非難を浴びるかも知れません。
しかし、伸びる人と伸びない人の間に存在する壁は、まさにこれだと思うのです。つまり、「自分が納得したことしか受けつけない」か、「もらえるものは何でももらう」か。
後者のタイプの人にとっては、議論する時間がもったいなく感じるのです。

私は、数ヶ月前から、自作の詩をMY DEARネット詩誌の掲示板に定期的に投稿し、詩人の先生方から評をつけていただいています。いろいろな方々が担当してくださいます。さまざまな反応があります。そのすべてのコメントから、非常に貴重なことを、毎回、大量に学んでいます。

「こう書いた方がいい」といったアドヴァイスもあれば、「読んでこう思った」という感想もあり、時には、詩の内容について「私はこうは思わない」という個人的かつ感情的な反応をいただくこともあります。

すべてが、ものすごく参考になります。理論的な指摘も、感情的な反応も。
一回一回の評が、「詩」を介した、先生と私、二つの心の出会いです。
かぎりなく深く、幸せな、出会いです。

本気で伸びてゆこうとする人は、いつか、自分の技術や作品を、売れるものにしたいと思っているはずです。おっと、そんなこと思っていない、と言われそうですね。では、「人の役に立つもの」と言い換えましょう。人の役に立つもの=売れるものです。人の役に立つくらい質の高い作品をつくるためならば、学ぶことに関して、なりふり構わないはずなのです。自分が納得するかしないか、ということにこだわっている暇など、ないはずなのです。

学ぶ人は、一を聞いて百を知ろうとすべきです。
自分が愛することのためなら、将来、それを役立ててゆこうとするなら、それは何の苦労でもないはずなのです。

コメント

  1. ラベンダー より:

    「伸び上手・・・」を拝読して
    私は20年ほど、報道機関で編集記者(編集者兼記者)として働き、その前には、マスコミ就職を希望する人のための私塾で勉強していました。この文章を拝見し、その頃のことを懐かしく思い出しました。

    塾生時代も編集記者の時代にも、「(原稿を)馬に食わせるほど書け」と言われ、必ず人に読んでもらったものです。
    入社してからも、デスクや部長(編集長)、校正者など複数の人が原稿に手を入れます。真っ赤になるほど。部長や編集長になっても、必ず複数の人のチェックを受け、赤を入れてもらわなければ、印刷には回せません。

    また、名実ともに優れた書き手ほど、若輩の編集者が入れた赤(直し)であっても、すんなり受け入れるということも経験しました。
    そんな日々を送ってきたので、いろいろな人に読んでもらうのはいいなと思います。

    それともう一つ。
    私はなぜ、「良い文章」を書けるようになるといいなと思うのか、自問してみました。
    下記のようなことを思いました。

    夏の蒸し暑い夜、窓から月が見えたとします。
    とても美しかった。
    「昨日の月、すごかった」と友人に話したり、日記に書いたりする。
    でも、そこから、「きれいだった」「美しかった」・・・というように、さらにはもっとほかの言葉に、表現を進めてみる。

    「ああ、この表現が一番合っている」という言葉に行き着くまでやってみる。
    そのうち、行き着くというよりも、その言葉が出現するようになってきます。

    すると、その瞬間、自分自身が健やかになる。

    1日のうちで、どこか傷を負ったりしていたのなら、それが修復される。

    言葉を見つけることには、そんな力がある。

    同時に、月も輝きを増すのではないかと思います。

    そういう言葉に出会うためには、咲良さんの著書にある、「聞こえない音を聴き取る」練習がとても良いと思いました。

    同時に、量は少なくても良いので、古典を読み、その言葉を胸に抱いておいて、「聞こえない音を聴き取る」ことをしてみる。

    すると、新たな世界が開けてくると思います。

    至福の体験です。

    そんなわけで、良い文章を追求するっていいなと思うのです。

    ラベンダー

    • ラベンダーさま♡ とっても素敵なコメントをどうもありがとうございました! これを読ませて頂いて、私自身、毎日こうしてブログを書いていることが、改めてとっても幸せなことだなぁ、と感じました。そう! その、ぴったりくる言葉を探す感覚、翻訳の作業に近いな、と私は感じます。以前、ドイツ語を日本語に翻訳していた時のことを思い出します。100%完璧に言い換えられる言葉がない場合、どんなふうに表現したら伝わるだろう……と、いろいろな工夫をしてみたものです。単語を替えるだけではほとんどの場合、無理。文章全体を変えてみたり、その何行も前から書き直してみたり…… 文章を書くことって、こうしてみてみると、創造よりも翻訳に近いのかな…と思います。そして実は、創造よりも、翻訳の方が、真の芸術なのかな、と。なぜなら、それは「自分が言いたいこと」を超えて「対象の存在」をいかにいきいきと伝えるか、だからです。ラベンダーさんがおっしゃる、「月が輝く」。まさに、その通りだと思います。的確に表現された時、月は真の意味で輝き、喜ぶ。月の喜びが私に伝わって、書き手である私が癒される……そういうメカニズムなのかも知れません。コメント、心から感謝です!

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