私は「しあわせハンス」か!?-私とキリスト教の信仰について

皆さん、「しあわせハンス」というグリム童話をご存知ですか? 下に紙芝居動画を貼っておきます。

すっごく簡単に説明します。知っている方は読み飛ばしてください。

7年間お金持ちの主人の使用人として働いたハンスが故郷へ帰ることになり、主人に報酬をくれとたのみ、「よく働いてくれたから」と大きな金の塊をもらいます。それを担いで家に帰る道すがら、馬に乗っている人を見てうらやましくなり、馬をもらう代わりに、金の塊を渡してしまいます。ハンスは馬に乗って大満足。しかし、馬を走らせていて落馬してしまいます。そこへ牛を連れた人が通りかかり、馬みたいに速く走ったりせず、おまけに乳が飲める牛はいいなぁ、と思ったハンスは馬を牛と交換して、これまた大満足。しかし、その牛は年老いていて乳が出ず、がっかりしていると、子豚を連れた人に会い、豚肉は美味しいし、ソーセージも作れるからいいなぁと、今度は牛を豚と交換します。ハンスは大満足。すると肥えたガチョウを抱えた人に会い、ガチョウは美味しいうえに羽を枕に入れたらふわふわでいいだろうと、豚をガチョウに代えてしまいます。すると今度は石で刃物を研いでいる職人に出会い、「この石ひとつあればいくらでも儲けられるんだ」という話にのせられて、ガチョウを研ぎ石と交換します。ハンスはこれで財産が作れるとご満悦。重たい石を担いで歩いていたら喉が渇き、井戸で水を飲んでいる時、石が井戸の中に落ちてしまいます。ハンスは、これで重たい石を持って歩かなくてよくなった、と大喜びで家へ帰ってゆきました……というお話です。

私はこの一年、とても幸せです。
もちろん、体調の悪い時期はしんどいのですが、根本的には今までの人生の中で一番、幸福かも知れません。同時にこの一年は、今までの人生で一番、貧しく、孤独な年でした。


20代後半、私はたくさんのものを持っていました。
毎日働くことの出来る健康な体、音楽療法士として雇ってもらっていた勤め先、全国各地で呼んでもらい、やっていた講師としての仕事、たくさんの人間関係……
それから10年の間に、私はうつ病になり、一年、また一年と体力がなくなってゆきました。同時に、できる仕事も、ひとつ、またひとつと減ってゆきました。


二年前、最後の仕事を辞めました。自主的に行っていたコンサートも、体がついてゆかなくなり、コロナが流行り始めたこともあって、ストップしてしまいました。今は、定期的に外で働くことができない体です。当然、収入も最低限、ひとりで生活してゆける程度。それでも必要最低限の収入をしっかりと守ってくださる神さまに、私は感謝しています。

私、ハンスにそっくりなのです。仕事をひとつ辞める度に、もちろん寂しさもあるのですが、私は心が解放されました。「今までどうもありがとう! 楽しかったし、とてもよい勉強になりました!」と晴れやかな笑顔で挨拶して勤務先を出て来る時、いつも幸せをかみしめていました。

もうひとつ、不思議なことがあります。私の体が弱くなり、できる仕事が減る度に、私は主のもとへ導かれました。私は幼少期からプロテスタントの教会に通い、15才で自ら決断して洗礼を受けました。でも、大人になってからは、教会から足が遠のき、祈ることもあまりしなくなっていました。

うつ病を何とか治したくて、いろいろな療法やヒーリングを受けていた頃、「これは私のゆく道ではない」ということを、私は行く先々で確信しました。私の人生は神さまの手の中にあり、うつ病が治らないことは、きっと神さまの計画なのだ、と。


二年前の夏、訪れていた韓国で、たまたま教会へ足を運んだことをきっかけに、私は再び、教会に通うようになりました。その教会ですばらしい牧師さん、伝道師さん、そして仲間たちに出会い、私は再び、祈るようになりました。「一日一時間は必ず祈りなさい」と教えられました。一日の中で一番大切な時間を、祈りのために空けましょう。夜の余った時間ではなく、早朝に祈りましょう、と牧師先生はおっしゃいます。ただし、義務感から祈るなら、時間の無駄。祈らない方がいいと。

朝起きて、一時間祈る。声を出して、神さまに話す。
天の父なる神さま、イエスさまの力とあたたかさに触れる。
悩みや恐れや焦りを、すべて告白し、主にゆだねる。
主が、何もかも解ってくださっている安心感に浸る。
聖霊が体と心に満ちてくるのを感じる…… 
これが、私の祈りです。

毎日祈るようになって、分かったのです。祈りは他の何にも代えがたい、喜びなのだと。
もし祈らなければ、私は起き上がることができない日ばかりでしょう。でも、祈るから、起き上がってその日の生活をする力を得る。それだけでなく、こうして文章を書いたり、演奏をしたり、何時間も仕事に集中する力を得るのです。


今、私はこう祈っています。

主よ、私は強くなりたい。でも、あなたの力によってのみ、強くなりたい。
あなたの力無しには、何一つできない人間であることに感謝します。

私が語る言葉、書く文章、奏でる音楽のすべてに、あなたが働いてください。
それらが、私のものではなく、あなたの言葉であり、音楽でありますように。
私は、あなたのためにだけ、働きたい。あなたの仕事でないことは、一切やりたくない。
24時間、365日、生ける限り、あなたの仕事だけをさせてください。


祈り、神さまと良い関係を保っている限り、私はうつ病から解放されるということが、はっきりと分かりました。起きられない日もあります。体がしんどくて、教会に行けない日もあります。でも、週に2回も3回も、夜、ラインで一緒に祈るすばらしい仲間たちがいます。ひとりで祈れない日も、このグループに参加すれば、必ず立ち直れます。

私が「しあわせハンス」なのは、ひとりぼっちであればあるほど、神さまのために使える時間が増えるからです。しなければならない仕事が無ければ無いほど、神さまのお仕事ができるからです。そして、自分ではどうしようもないくらい体が弱いからこそ、神さまの大きな力によって起き上がり、生きることができる。まったく先の見えない人生だからこそ、ぜんぶ、神さまに任せられる。丸投げできる。
それゆえです。


私のことを何としてでもご自分のもとへ導くために、主は私の健康と、仕事をする力を取り上げられたのだと、今は確信しています。神さまの限りない力に身をゆだね、神の力によって働くことができるようになるために、私が持っていたちっぽけな人間の力を、取り上げられたのだと。

「明日の心配はするな」とイエスさまはおっしゃいました。自分が十字架の刑で死ぬことを忘れた日など、一日もなかっただろうに……
だから私は、今日のこの一瞬を楽しみます。一杯のコーヒーの美味しさを。秋の風の心地よさを。

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