音楽で食べてゆく道が開かれてゆく時-コミュニティ開設から半年、言い尽くせぬ感謝をこめて

コミュニティ開設からもうすぐ半年になります。現在20人のメンバーが、私の音楽活動を支援してくださっています。みなさん、本当に素敵な方々です。経済的な支援はもちろん、それ以上に、お一人お一人とのご縁が、私にとってかけがえのない支えとなっています。深く感謝申し上げます。今日は、この半年、私が受け取った数々の奇跡についてお話したいと思います。
今、音楽で食べてゆく道を模索している方、うつ病と闘っている方、社会復帰を目指している方、新しい働き方を模索している方々に、勇気を持っていただけたら幸いです。

「あなたは体が弱すぎる。」
仕事を辞める話をした時、上司にそう言われました。私は深く頷きました。
自分でもまったくその通りだと思ったからです。

自分の力ではどうしようもないと、はっきり分かっていることは、指摘されても、あまり傷つかないものなのかも知れません。
体が強ければ出来たはずの数々のことに対する執着は、すでに消えていました。音楽療法を教える仕事、またドイツへ行くこと、ライアーコンサートをすること、公開講座の講師を務めること、どれもこれも。

正直に打ち明けます。
それまで私にとって大きな喜びだったこれらの仕事が、うつ病のせいで、ただただ、重荷でしかなくなっていました。ひとつ仕事を終えると、疲れ果てて、自分が空っぽになってしまったかのような虚しさに襲われました。体と心が回復するまで、数日間、時には数週間、一日の大半を、体を丸めて毛布にくるまって過ごしました。苦しくて、悔しくて、悲しかった……

こうなってしまった以上、もはや私は、職に就くことの出来ない役立たずな人間なのだと考えたこともあります。一生、障害者として年金の世話になりながら、細々と暮らしてゆく以外ないのかも知れない、と。せめて、視覚障害がなかったなら、まだ何かしらのチャンスがあったかも知れません。でも、視覚障害者で、精神障害の認定まで受けているような人間には、開かれた道などないような気がしました。

こんな悶々とした日々の中で、奇跡のように湧き出して来た確信がありました。
「私には芯の力がある。今まで培って来たものを工夫して活かせば、体が弱くても出来る仕事がきっとある。必ず、それを見つけてみせる。」
この確信は、希望へとつながってゆきました。

私は、考え方を180度変えて自問しました。今の私にでも無理なく出来ることは何か。
それは、自宅で出来る仕事で、なおかつ、雇われてする仕事(ノルマや期限のある仕事)ではないこと。こう考えると、結論は一つ。自営業という道しかありませんでした。

幸い、尽きることのないアイデアと実行力、粘り強さを、私は天から授かっています。これらの力をフル活動させて、私は自分の作品(文章、楽譜、演奏動画等)によって収入を得る試みを始めました。最初に手をかけたのがアフィリエイト、いわゆるブログの収益化です。結局、アフィリエイトではまったく稼ぐことが出来ませんでしたし、この方法は自分に合わないことが分かりました。でも、やってみてよかった。どういう記事が多くの人に読まれるのか、訪問者の推移を見てゆくと、いろいろな発見がありました。

同時に、ライアー、ピアノ、ピアノ弾き語り等、自作の曲を含め、さまざまな演奏を撮影して編集し、YouTubeにアップしました。ここからも、多くのことを学びました。

最後に辿り着いた答えは、「集客のため」にやることは、たとえ一時、多くの人が目を向けてくれたとしても一過性で、発展がないということ。それに対して「自分が楽しいからやること」は、大勢の関心を集めることはなかったとしても、必ずそこから「人との縁」が生まれる、ということでした。

そんな時、ある音楽家の知り合いが、コミュニティというものの存在を教えてくれました。ずっと昔、演奏家は宮廷や貴族に雇われて演奏し、その代わりに養ってもらっていた。ある時から、彼らは独立し、自分の作品や演奏を売って生計を立ててゆくようになった。しかし、今、コロナで演奏活動が自由に出来ない状況下で、昔の形が復活しつつある。つまり、その演奏家の音楽を好む人々が集まり、みんなで継続的に演奏活動を支えるという形だというのです。大変興味深い話だと思いました。

周りを見回してみると、確かに、私が何を書こうが、何を演奏しようが、必ず反応を返してくれる人たちが数人いました。大切な友人として、私を見守っていてくれる人たちでした。いざ、コミュニティを立ち上げた時に、最初にメンバーになってくれたのも、この人たちでした。

コミュニティを開設したのが昨年の12月だったのですが、今年2月、突然に、私が住んでいたマンションのベランダの前で、古いアパートを解体する工事が始まりました。当時住んでいたマンションは19㎡のワンルーム。持ち物が少ない私だからこそ、なんとか生活出来てはいたものの、演奏動画を撮るのも一苦労。電子ピアノを机代わりにしてパソコン作業をしていました。この狭い場所で、朝から夕方まで工事の騒音に耐えるのは、容易ではありませんでした。

もう引っ越しする以外、逃げ道はありませんでした。急きょ家を探し、3月半ばに今の家に引っ越して来ました。本当に、奇跡のように見つけたこのマンションは、30㎡の1DK。最上階の角部屋で、壁の下半分が板張りの物件の最後の一部屋でした。少し東京からは遠くなりましたが、生活するには何も不便の無い場所です。

以前より1万5千円、家賃が高くなりました。ちょうど、みなさんが寄付してくださる毎月の合計金額が、1万5千円を少し超えたところでした。職のない私は、もしみなさんからの支援がなかったら、引っ越すことも出来なければ、騒音のせいで演奏も続けられなくなっていたことでしょう。

引っ越して来たこの家には、まだまだ、たくさんの奇跡が隠されていました。
壁と床に使われている木材が、ライアーの音をとても美しく響かせてくれるのです。窓ガラスは二重で、とても静かです。以前のように隣の迷惑にならないよう、控えめの音で弾く必要もありません。何よりも有難いのは、リビングの広い空間のおかげで、ライアーレッスンが可能になったことです。

メンバーの中から希望者を募り、ライアーレッスンの様子を撮影し、編集してYouTubeにアップすることが出来るようになりました。今まで伝えることが難しかった私の演奏に対する想いを、リアルに伝えることが実現しました。

仲間たちとのつながりと、存分に演奏が出来る心地よい空間のおかげで、私のうつ病は確実に癒されつつあります。1年前には想像すら出来なかった場所に、私は立っています。まだまだ、音楽で稼げているとは言えない状態ですが、私は焦っていません。必要な時に必要なものが必ず与えられるということを、この半年で体験したからです。

コミュニティの素晴らしいところは、大切な仲間たちと親密なやり取りができることです。その関わり合いの中から、新しいアイデアが生まれます。
これからも、大切に、このコミュニティを培ってゆきたいと思っています。みんなで音楽の喜びを分かち合い、その喜びの中から、たくさんの価値あるものが生まれてゆくコミュニティを目指して。

最後に、今、毛布にくるまって一日の大半を過ごしている人たちへ。病のせいで仕事が出来なくなってしまった自分に絶望している人へ。もう一度社会の中で、自分の力を発揮して働きたいと願っている人へ。
あなたが失ったもの、あなたが持っていないものの数を数えるのではなく、
あなたが天から授かったものの数を数えてみてください。
それを工夫して活かせば、必ず道は開かれてゆきます。
大切な仲間たちと出会います。一歩一歩がゆっくりであっても、
必ずものごとが動いてゆきます。
あなたに出来ることは、あなたが知っているより、ずっと多いのです。
あなたを大切に思ってくれる仲間たちは、あなた以上に、それをよく知っています。

言い尽くせぬ感謝をこめて

くどうさくら
CAMPFIREコミュニティページはこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました