可愛い人ークリスチャンの私から

誰かのことを説明する時、私はよく「可愛い」という言葉を使う。おじさんやおじいさんに、可愛いという表現は失礼かも知れない。でも、他にぴったりな言葉が思い浮かばない。キュートとかスイートと英語にしてみても、結局意味は同じ。

私が「可愛い」と言う時、それは外見のことを言っているのではない。その人の存在そのもののことを言っている。外見だけ見ていたら、人の可愛らしさを発見することは出来ない。内面を見る必要がある。

可愛らしい人はどんな人か。それは、心がまっすぐな人だ。自分の強さも弱さも成功も失敗も隠さない人。自分を良く見せようとしない人。人から自分を守ろうとしない人。

そういう人のそばにいると安心できる。そういう人の話はほほえましい。本人は一生懸命に話しているのに、なぜかみんな笑う。話がおかしいのではなくて、一生懸命な姿がほほえましいから笑うのだ。

そんな可愛らしい人には敵がいない。けんかをしても面白くないから。けんかを仕掛けても、鏡のように、愚かな自分自身の姿が見えるだけだから。

神さまは、私たち一人一人を可愛らしいと思っているのではないだろうか。神さまはすべてを知っておられるから。私たちが悪いことをして、でもその後に反省している姿も、人から言われたことに傷ついて、相手を恨んでいる姿も、でもその恨みが本当は、理解してもらえなかった悲しみから生まれたことも、すべて知っておられる。

私たちが誰かのことを可愛らしいな、と思う時、私たちはほんの少しだけ、神さまの眼で、人を見つめているのかも知れない。

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