「視覚障害者」という衣は着たい時に着ればいい-私の障害との付き合い方

以前、私の母校である世田谷区立笹原小学校弱視通級支援学級で同窓会がありました。
参加した先輩からひとことづつ、今在籍している小学生のみんなにメッセージを伝える場面で、こんな話をしました。

「みんなは、弱視という障害をもっているけれど、それはみんなの一面でしかない。自分=弱視者だと思う時があってもいいけれど、それを忘れている時があってもいい。弱視者であることを、自分のアイデンティティには、あまりしない方がいいと、私は思うの。その方が、自由でいられるから。

弱視という衣を着て、社会へ出てゆく時があってもいいけれど、いつも、その衣を着ていなければならないわけではない。視覚障害者が生きやすい社会にするために、活動したければ、そういうことをしてもいいけれど、それにこだわる必要はぜんぜんないと思う。

大人になると、障害のある人もない人も、みんな、社会の中に自分の居場所を作りたがる。○○大学の出身です、○○会社の社長です、○○学校の教員です、結婚して妻と子どもがいます、というふうに。そういう肩書があれば、みんなに認めてもらいやすいし、自分も安心できるからね。

今はまだ、お父さんもお母さんも学校の先生も、みんなを弱視の子どもとしてあつかうと思う。大人たちには、みんなの必要なサポートをする義務があるから、しかたないよね。でも、大人になったら、もう自由だよ。どこへ行って何をやってみたっていい。自分は目が悪いことを、人に言ってもいいし、言わなくてもいい。全部、自分が決めることで、自分が責任をとることだから。

私は、必要な時以外、弱視という衣を着ることなく、生きて来ました。そのせいで助けが得られず、しなくていい苦労をしたかも知れません。その一方で、とても自由でした。いろいろな国の、いろいろな人たちと出会い、たくさんの友だちができました。20代後半、ドイツ留学を終えて帰国する時、「6年も離れていた日本社会に戻るの、不安じゃない?」と、ドイツ人の友人にきかれたことがあります。しばらく考えてみて、私は答えました。

「う~ん、それはあんまりないなぁ。どこにいても、私はサクラだから。私、子どもの頃から、いつもみんなとちょっとちがう子どもだったから、一人ぼっちになることもあったけれど、でもその代わり、どこに行って何をするのにも、あんまり不安がないの。自分のふるさととか、自分の家という感覚がよく分からない分、家から出て行く時の不安もない。自分が日本人だという感覚も、ドイツ人っぽくなったという感覚も、ないんだ。サクラはサクラでしかありえないから。」

友人はにっこり笑って、納得していました^ー^

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