親は客観的に子供を評価できないものであり、それは微笑ましいことである

最近ようやく分かったが、親という生きものは、どうしても、我が子を客観的に評価することができないのである。特に、同性の子どもをまっとうに評価することは、困難なようである。母親は本能的に、我が子を自分の一部、または自分のモノだと認識していることが多いが、実際に自らの胎内に子どもを身ごもっていた経験があるわけで、これはもう、頭で分かっていてもどうにもできない、仕方のないことなのである。

子どもは、親からまっとうな、つまり第三者から得るような客観的な評価、特に良い評価を得ようとしても、無理だということを、早めに悟った方がいい。親に理解を要求したところで、親にとってそれは、実現不可能な難題を突き付けられているようなものであるから、ケンカになるか、逆上されるか、いずれにせよ生産的な結果はもたらさない。

それよりも、真に自分を理解し、評価してくれる友人をつくった方がいい。お互いに助け合い、刺激し合い、客観的な意見を言い合える友人こそ、人生を満たしてくれる。

親は子どもばかりを、子どもは親ばかりを見ているのではなく、それぞれがそれぞれの人生を満たしてゆくことが、とても大事だ。自分の心が満たされれば、我が子を正当に評価できない親が、逆に愛おしく感じられるものだ。親がどうしてもできないことを、微笑ましく思うことができるはずだ。

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