正しい音を弾くだけでは音楽じゃない!-それならあなたが弾かなくても機械が弾けばいい

どんな楽器でも同じなのですが、特にピアノに関しては、楽譜に書いてある音を全部正しく弾けば、良い演奏だと思っている人が、たくさんいます。音がたくさんある難しい曲を、超スピードで弾けばカッコイイと。
それが出来るようになることを目指して、ハノンやツェルニーで、毎日指の練習に励んでいる人。
決して、それがまちがっているわけではありません。確かに、ある程度難しい曲を弾くためには、指が速く動くことが必要です。


でも、それだけをやっていても、音楽を演奏出来るようにはなりません。なぜ、こう断言できるかと言うと、まさに私が、約20年に渡り、その過ちを犯していたからです。4才からピアノを習って、毎日毎日一生懸命に練習していたのに、高校二年生の夏、音楽大学の夏期講習会のレッスンで、先生に言われました。
「あなたの演奏、金太郎飴みたいね。どこを切ってもおんなじ金太郎の顔が出て来る感じ。」
自分でも、ホントにそうだと思っていたので、少しも傷つきませんでした。どうしたら金太郎飴でない演奏になるのか、見当もつかなかったのです。


初めて、その手がかりを示してくれたのは、高校生の時にソルフェージュを習っていた先生でした。
曲の中に出て来る音には、一つ一つに役割がある。演奏する人は、その役割を理解したうえで、一音一音の音の強弱や音色、弾く速さを考えて、演奏を作らなくてはならない。先生は、限られた時間の中で、それを私に理解させようと、大きな力を注いでくださいました。

それから総合大学の音楽科に進んで、ピアノで卒業演奏までして、音楽療法を勉強するためにベルリンに留学したのですが、その時点でもまだ、金太郎飴演奏を完全に卒業してはいませんでした。ベルリンで生活した6年の間に、生きた音楽とは何か、知識としてではなく、生活環境や人々との交流、言語、学校で受けたさまざまな授業や先生との出会いを通して、学びました。
「サクラの演奏が変わったね」と学校の先生から言われたのは、留学して4年目のことでした。

機械のような演奏でもいい、それでも弾いていて楽しい、と思う人は、それでいいと思います。
でも、演奏の真の喜びは、表現することにあります。演奏を作ることです。ていねいに作られた演奏は、聴く人の心に沁みます。「すごいね」という称賛の言葉は浴びないかも知れません。でも、「リラックスできた」「ほっとした」「癒された」という反応が、きっと返って来るはずです。


演奏を作るためには、二つ、大切なことがあります。
一つは、自分の技術で余裕をもって弾ける、簡単な曲(またはアレンジ)を選ぶこと。音を追いかけることで精一杯になってしまっては、音楽表現をする余裕がありません。
二つ目は、少しずつでも、音楽理論を学ぶこと。ソルフェージュを学ぶこと。これを積み重ねてゆけば、楽譜を見た時に、曲がどういう構造になっているのか。どの音を強く、どの音を弱く弾けば、音楽に呼吸が生まれるのか。聴く人をハッとさせ、感動させるのはどの部分なのか。そういうことが分かるようになります。自分が、自分の先生になれるのです。


ピアノは、決して超絶技巧を披露するための楽器ではありません。
他の楽器がそうであるように、ピアノもまた、美しい音楽を奏でるために作られた楽器です。
ピアノを愛するなら、音楽を愛するはずです。深く心に沁みる、表情豊かなピアノ演奏が、日本中に溢れることを夢見ています。

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