自分の居場所、どこを探せば見つかるの? ドイツに6年留学した私が帰国してから自分の居場所を見つけるまでのお話-「外」を探すのをやめた時、「内」に見つかる幸せ

行き詰まっている時、苦しい時、孤独な時、
「良いパートナーがいたら幸せになれるかも知れない」
「海外に住んだら元気になれるかも知れない」
こんなふうに、自分の居場所を探し求めたことはありませんか?
その時、どこを探しましたか?

探して、見つかりましたか?


私は20代の頃、6年間ドイツに留学しました。
「1年2年の留学なら、お客さんとして過ごして帰って来られるから、帰国して日本社会に溶け込むのにも、それほど苦労しない。それ以上の期間海外に住んでいると、帰国して日本に適応するのが容易ではなくなる。」
これは、渡独前に、長期留学経験のある先輩から聞いた言葉でした。
「容易ではない」ってどういうことなのだろう……
自らそれを経験して、初めてその意味が分かりました。


それは実際に、二つの観点から、容易ではありませんでした。
一つは社会生活において、もう一つは自分の内面においてです。
今日は、二つ目の方、内面的に何が大変だったか、お話したいと思います。


これは、留学中の環境、例えば日本人との関りがどれくらいあったか、帰国時の年齢、帰国後、どういう環境で仕事をするか等によって、人それぞれちがうと思います。私の場合は、現地でほとんど日本人との交流がありませんでした。家族のように親しくなったドイツ人の友人が何人もいました。帰国した当初は、相当に頑張らないとスムーズに日本語を話すことができない状態でした。

帰国してから長い年月、私は内面の孤独との闘わなくてはなりませんでした。
それは、「どこにも自分の居場所が無い」という感覚でした。
最初の頃は、ドイツを訪れると、故郷に帰ったように安心し、自由になることができました。ですから、いつかまたドイツで暮らせば、孤独感から解放されるかも知れないと思っていました。

でも、年月が経ち、ドイツの友人たちと疎遠になってゆくにつれて、その希望も薄れてゆきました。

私は母親以外、家族や親せきの誰とも、つながりがありません。「故郷」や「実家」と呼べるような特定の場所もありません。ですから、「自分の過去と現在をつなぐものは何も無い」という、宙に浮いたような感覚、虚しさを常に抱えていました。

自分が、まるでぶつ切りになった時間の破片で出来ているような感覚を、ずっと持ち続けていました。子供時代と、父親が亡くなった19才の冬から大学を卒業して留学するまでの「大人」として日本で過ごした時間と、ドイツで暮らした6年間と、帰国後の年月。それぞれの時間の中で、私は別の人間で、この時間の破片たちは、まるで異世界のように、互いに通じるものが何もない。そんな感覚でした。

帰国して数年後、私はうつ病を患いました。10年経って、つい最近ようやく状態が改善してきました。

うつ病とそれに伴う体調不良が酷かった時期には、藁にもすがる想いで、
「パードナーができれば、幸せになれるかも知れない」、「海外で暮らせば、また以前のように元気になれるかも知れない」などと考えていました。
しかし、実際にやさしい交際相手がいた数年間も、病状は改善しませんでした。
そして数年前、3ヶ月間ソウルで語学学校に通いながら生活してみた時、たとえ外国に住んでも、自分の体調が劇的に改善することはないと悟りました。


私の間違いは、孤独感から解放してくれるもの、「自分の居場所」と呼べる何かを、自分の外に、つまり、生活環境や人間関係に探し求めていたことでした。
苦しみから解放してくれるものは、「外」には無いのです。
自分の居場所は、いくら「外」を探しても、見つからないのです。
どちらも、「内面」にしか存在しないからです。


自分の内面に拠り所(居場所)がある人は、どこにいても孤独ではありません。
内面が満たされ平穏であれば、丈夫な体すら、何が何でも手に入れたいものではなくなります。

そして、これは究極の真実。内面が満たされた時、必要なものはすべて、手に入るのです。

私にとっては、キリスト教の信仰が「内面の居場所」でした。
ソウルで、20年ぶりに教会の礼拝に行き、イエスさまの存在をはっきりと心に感じた時、それが分かりました。日本に帰って来てからも、教会へ通うようになり、祈るようになり、子供の頃築いていた神さまとの良い関係を、少しずつ取り戻してゆきました。


今、私は内面に居場所があります。満たされています。幸せです。
うつ病の身体的症状(疲れやすさなど)は以前と変わりません。でも、私は満足しています。


みなさんの内面の「居場所」は、何でしょうか……
私には分かりません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
その「居場所」は必ず見つかる、ということです。


いつ、どこで、見つかるのでしょうか。
それは、「外」に居場所を探すことをやめた時です。
完全に諦めて、やめた時です。
重い病気に苦しんでいる時、大切な人を失った時、
そんな、絶望の一歩手前で、自分の本当の居場所を見つけた人たちを、私は何人も知っています。


少しでも「外」に未練があるうちは、なかなか見つかりにくいのです。
ハウツー本や生き方本を読み漁るのも、ある意味ではまだ、「外」に何かを探している状態です。

それすらもやめた時。すべての未練を手放して、
それでも、自分が目に見えない大きな手によってしっかりと守られていることを信じ続ける時、

人は必ず自分の内面に「居場所」を見つけます。

あんなにあちこち、外を探し回っていた私でさえ、見つけることができました。
孤独に押しつぶされそうな時、このことを思い出してもらえたら、うれしいです。



コメント

  1. […] それは実際に、二つの観点から、容易ではありませんでした。一つは社会生活において、もう一つは自分の内面においてです。前回は、二つ目の方、内面的に何が大変だったか、お話しました。今回は、日本に帰って来てから社会生活の中でぶつかる壁について書いてみたいと思います。 […]

  2. […] それは実際に、二つの観点から、容易ではありませんでした。一つは社会生活において、もう一つは自分の内面においてです。前回は、二つ目の方、内面的に何が大変だったか、お話しました。今回は、日本に帰って来てから社会生活の中でぶつかる壁と、いかにそれを乗り越え、留学経験を活かし、社会貢献につなげるか、について書いてみたいと思います。帰国した時、私は28才でした。私が帰国後、所属し、働き始めた業界では、一番若い人間の一人でした。だからこそ、皆、何でも教えてくれましたし、多少の失敗もゆるしてくれ、娘や妹のように可愛がってくれました。これは、とても幸運なことでした。その一方で、上下関係、特に年功序列を重んじる日本社会特有の人間関係は、当時の私にとって相当に窮屈でもありました。年の若い私は、組織内での決まり事や年上の人たちのやり方を壊さないように、常に注意する必要がありました。帰国して間もなく、私は悟りました。「ドイツで学んだこと、経験したことをそのまま日本で伝えようとしても無理だ。まずはこの社会の一員に戻ることを第一にしよう。勉強して来たことへのこだわりは、一切捨てなければ、日本ではやってゆけない」と。幸い、私はこだわりを捨てるのが得意な方でした。もし私が、ドイツで学んだことを自分のアイデンティティにしてしまうタイプの人間だったとしたら、人と協力し合って仕事をすることが出来ず、自分の言う事を聞く人だけを周りに集めて孤立し、閉鎖的になっていたことでしょう。実は、そちらの方向へ進んでしまう留学経験者が少なくありません。そちらの方がラクですし、皆、ちやほやしてくれます。意見が合わずにぶつかったり、葛藤を抱えることもありませんから、好きなことを好きなようにやることができます。しかし、この道には先がありません。より多くの人々と協力してつくり上げたもの、さまざまなものの見方や考え方によって練り上げられたものでなければ、社会には通用しないからです。私がそういう方向へ行かずにすんだのは、ものごとを柔軟に考え、行動するという、音楽療法士の根本的な姿勢が、骨の髄まで沁み込んでいたおかげだと思います。その結果、たくさんの人たちと協力し合って働き、豊かな実をみのらせることができました。 […]

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