外国語が開く扉-これこそ一番の幸せ

韓国語を始めてから4年半が経ちました。
最初の2年間、教えてくれた先生と3年ぶりに会いました。
私の韓国語はまだまだ未熟で、間違いだらけだけれど、会話にはもうあまり困りません。
一日中しゃべっていたとしても、それほど疲れません。
先生といろいろな話をして別れるまでの数時間、結局、日本語は一言も話しませんでした。韓国人の先生は、母国語だけで私と話せるようになったことに驚き、心から喜んでくださいました。私も、3年前には話したくてもうまく話せなかったことを、いろいろと伝えることができて、本当に幸せな時間でした。

数年前、フランクフルト経由でオーストリアのリンツへ友人を訪ねて行った時、フランクフルト空港の入国審査官が、私の顔とパスポートを何度も見比べて不思議そうな顔をしました。更新したばかりの新しいパスポートでした。
「あなた、ドイツに住んでいるわけじゃないでしょ?」
ときかれて、あぁ、そういうことか、と思いました。
「昔、住んでいたんです。ベルリンに6年間。」
「あぁ、なるほど。ドイツ語がふつうに話せるから不思議だっただけです。」
審査官は苦笑しながらパスポートを返してくれました。

空港に迎えに来てくれたオーストリア人の友人に、車の中で質問攻めにされながら、ヨーロッパのひんやりとした空気の中に、自然に溶け込んでゆく自分を感じていました。もう、頭の中はドイツ語。口は、まだちょっと慣れていなくてしどろもどろ。

話すことのできる外国語が一つ増えることの喜びは、その言語で感じ、考え、共感し合えるようになることです。新しい「わたし」が一人、生まれるような感じ。
新しく生まれた「わたし」には、たくさんの新しい仲間たちができてゆく。
それは、ものすごく新鮮で、わくわくして、嬉しいこと。
これ以上の幸せってあるだろうか……と思うほど、幸福な感覚です。

もし、この幸せが無かったならば、外国語の勉強なんて、しんどくて、億劫で、とてもやっていられない。もし、海外に滞在することや、外国語を習得する目的が、自分のステータスや、より良い会社への就職のためだとしたら、私はきっと、外国語の勉強を1ヶ月すら続けることができないでしょう。

でも、新しく生まれる「わたし」と、その先に開ける道、出会う人々のことを思ったら、語学の勉強は、もう楽しみでしかありません。新しく学ぶこと一つ一つが、新鮮な果物のように、美味しくて、嬉しい。

さてさて、10年後の私は、いったい何語を勉強していることでしょう。

#To my Friend #Sakura K. #Leier #lyre #ライアー楽譜集III

コメント

タイトルとURLをコピーしました