二十歳-私が大人にならなければいけなかった日

今日は愛子さまが二十歳になられた日ですね。「人の役に立つ大人になりたい」と、素敵なメッセージを発信してくださいましたね。

私は12月10日生まれ。愛子さまと9日ちがいです。だから、ふと、自分が二十歳になった日のことを思い出しました。それは、父が亡くなって15日後でした。そんな状況でありながら、母は小さな誕生日ケーキとお花と手料理で、お祝いをしてくれました。父の写真と一緒に。

父の葬儀は、私が通っていた教会で行われました。まだ56才だった父の葬儀には、父が勤めていた会社の方々が大勢集まってくださいました。私は母に代わって喪主の挨拶をしました。今でも、あの時の私の挨拶をよく覚えていると言ってくださる方々がいます。今、振り返ってみると、あれは私が大人の仲間入りをした日だったのかも知れません。

つい最近まで、私は少し母に怒っていました。どうして、まだ19才だった私に、挨拶をさせたのかと。
でも、今は母に感謝しています。あの時、母は私を大人として認め、私の力を信じていたからこそ、挨拶を任せてくれたのだと、分かったからです。
「お母さんがやるより、あなたがやった方が絶対にいいわよ。」
母のその言葉は、「お母さんはあなたの力量を知っている」、そう私の耳に響きました。だから、私は喜んで引き受けたのでした。

無理をして背伸びをしていなかった、と言えばうそになります。父の死を乗り越える力が私にあったかと言えば、まったくありませんでした。自分の気持ちを押し殺して、平気な顔をして振舞っていました。そうすることしか、私には出来なかったし、私が崩れたとしても、受け止められる人は周りにいませんでした。

あの時、背伸びをして大人の顔をし、強い人間のように振舞い、自分の本当の気持ちを抑え込んだツケは、数年後にやって来ました。5年後に不眠症と転換性発作が始まり、10年後、うつ病になりました。合計15年間病んだ末、ここ2年ほど、ようやく回復に向かっています。人生の中で一番力に満ち、仕事に結婚に子育てに、充てることが出来たはずの15年でした。

それでも、私は自分が不幸だとは思っていません。背伸びをして大人になったからこそ、大胆になれた。当時日本の誰も知らなかったベルリンの音楽療法士養成校を見つけ、入学を申し込み、ビザの工面をし、渡航する…… その全過程を、私は当然のごとく、一人でやりました。新鮮で、素敵な経験でした。何よりも、本気でやろうと思えば何でも出来る、という自信を私に与えてくれました。一生、消えることのない自信です。

これから先、またどんな苦難が待っているか分かりません。でも、この男前の根性で、私はきっとそれを乗り越えてゆく。クリスチャンの言葉で言うなら、主は必ず、そのすべてを乗り越えさせてくださる。そう信じています。



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